hontonohanashiのブログ

新しい出会いや別れ、日々のありふれた日常を綴らせてください。
たまの愚痴はお許しくださいね。

訪問介護での出会いと別れ

以前勤めていた介護事業所(訪問介護)でのお話になります。


10年近く経ちますが、今でも、その方の住んでいたマンション


の下を通ると、当時のことが思い出されて少し寂しくなります。



その方は、筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患っていて、お世話にはいる

私たちは最初に、その病気について、ある程度ミーティングを繰り返して

勉強もしました。


簡単に言うと、手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだんやせて

力がなくなっていく病気です。しかし、筋肉そのものの病気ではなく、

筋肉を動かし、かつ運動をつかさどる神経の異常とされているそうです。


私たちがそのお宅に伺うようになったのは、ご家族の強い意向があったからでした。

病院に入院していましたが、残りの人生を住み慣れたご自分の家で過ごしたい。

というご本人の強い希望もあったと聞いています。



ご家族も献身的で、朝ご主人が出勤後、息子さんがいる間に、ヘルパーとバトンタッチ

して、息子さんが帰られる時間にヘルパーが帰る。極力、一人になる時間を少なくして

いました。

お風呂は1日おきに、ご主人と息子さんが協力して、入れていました。


入って間もない頃は、まだ、車椅子で過ごされることが多く、おしゃべりもできて

いて、お昼ご飯を食べて、口腔ケアのお手伝いをして、ポータブルトイレへの誘導

車椅子からベットへの移動、


ベットで横になった利用者様の体を優しくマッサージ(といっても、リンパの流れに

沿うようにさするだけでしたが、)その間、30分くらいでしたか他愛無いおしゃべり

をしていました。


私よりほんの少し年上のお姉さんなので、当時は家族のことなど、私の愚痴話も楽しく

聞いていただきました。


彼女は北海道の出身だったので、私が北海道に行った時の話、札幌の美味しいもの

の話、ワイドショーの話しなど尽きることはありませんでした。


それから数ヶ月で、ほとんどベットに寝たきりになってからも、病気のことや、彼女から

マイナスなこと、愚痴のようなことは一切聞いたことはありませんでした。


その頃は嚥下機能が低下していて、ゼリーを半分飲み込むのもやっとの状態でしたし、

どんどん病気が進行して、不安に押しつぶされそうな毎日だったと思いますが、本当に

強い女性です。


私は小さなことでもクヨクヨするタイプなので、毎回、考えさせられる時間を

共に過ごさせていただきました。


当時を思い出すと、毎回、祈るようにして入室していました。

今日もお元気だった。


最後に入ったヘルパーさんは、前もって決められたとうり、救急車の手配と看護師の

呼び出し、ご主人も在宅していたので、病院で亡くなったそうです。


最後のお別れを言うことはできませんでしたが、本当にたくさんのことを学ばせていた

だいた貴重な時間でした。