防災の日 関東大震災の体験を話してくれたおばあちゃん
今日は防災の日、そして、今日は、関東大震災から100年だそうですね。
今を生きていらっしゃる方達は、私を含め、体験した方はひと握りかと
思います。
私の両親も、昭和の生まれですから体験していませんが、母の母、私から
見ればおばあちゃんから聞いた話が、生々しくて鮮明に残っているので
ここに記したいと思います。
おばあちゃんはだいぶ前に亡くなっていますので、当時の年齢はよくわかり
ませんが、当時、熱海の沿岸に住んでいて、地震の被害は逃れたものの恐ろしい
津波にあったそうです。
熱海は坂が多い土地で、山にも囲まれているので、大きな地震の後、津波が来るぞ〜
早く逃げろーと言われ、家族と取るものも取らず、山側に登って海岸を見下ろしていたそうです。
何分か経ったら、海岸の水が急に引いて、魚がピョンピョン飛び跳ねる様子が見てとれた
そうで、山に逃れた人たちも少し安心して、家に置いてきた大事なものを取りに帰ったそうです。
その直後、沖から見たこともない高い津波が押し寄せてきたそうで、家に帰った
人たちは全員、波に飲み込まれたそうです。
山に残った人たちは、一晩中続く、飲み込まれた人たちの助けてくれ〜という叫び声を
聞いていたとのこと。でも、到底助けることはできなかったと思います。
私はこの話をおばあちゃんから何回か聞かされましたが、当時は怖くてたまりませんでした。
もう1人、当時働いていた認知症型介護施設で出会ったおばあちゃんから聞いた震災の日の
様子も、忘れることは出来ません。
、食事の時の介助やら、お話し相手をしていた、認知症のSさん、90歳は超えていた方
でしたがお話好きで、自分は二十歳だと思い込んでいらっしゃる方でした。
直近の記憶は曖昧でも、自分の1番良かった時代のことは本当によく覚えていて
お母様に振袖を買ってもらったのよーとそれはそれは嬉しそうに話される方でした。
ある時、ひょんなことから、関東大震災のことを私に話してくださいました。
住んでいたのは、東京都の上野に近い、根津あたりだと記憶しています。💦
当時はまだ子供だったそうで、地震で下町一帯が火の海になったので、
高台にある小石川植物園に家族と逃げたそうです。
余談ですが、小石川植物園といえば、今放送されている「らんまん」の
牧野富太郎も小石川植物園の植物学教室で研究をされたのですよね。
サイトからお借りしました。
植物園から見下ろす下町一帯は恐ろしい火の手に焼き尽くされて、夜になっても鎮火せず、
数日間は植物園で生活したそうです。
本当に小石川植物園に避難できたのかは、少し疑問ですが、私も文京区に住んでいた
ことがあるので、住んでいた、護国寺のあたりからもズンズン坂を登ると確かに植物園
に、着きましたし、根津も反対側から坂を登ると植物園に行き当たるので、まんざら嘘では
ないのでしょう。
そして、おばあちゃんの家の家業が燃料屋だったそうで、リヤカーで運んだ燃料の炭やら、
煉炭がたくさん残っていて😅
それを使って、当時は商売が大繁盛したとのこと。
そんな話を昨日のことのようにお話ししてくださいました。
この話は私が聞いた話で、事実とは違うのかもしれません。ご了承ください。
でも、忘れては防災の意味もありませんので、このような記事を書きましたが。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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