熱海温泉の思い出♨
私の母は熱海で生まれました。
当時、母の父親と長男は地元で、まぁまぁな
水道屋を営んでいたので、戦後も食べることには
困らなかっと聞いています。
私の子供時代も夏休みになると、東京の自宅から熱海に
両親と車で行き、両親が帰っても、子供だけ残って熱海
の海で催される海上花火大会🎆まで居座り、たくさんいた
従兄弟たちと、夜になると近所の、今で言うゲームセンター
でスマートボールに興じたものです。😁
当時は、夜に子どもたちで出歩いても危険な街ではあり
ませんでした。
お風呂は、となりが大野屋というローマ風呂が有名な旅館が
あったので、そこの大きな温泉♨️に顔パス😆で入っていました。
そんな懐かしい思い出が熱海にはたくさんあります。
母のたくさんいた(7人兄弟)は皆、鬼籍に入り、
存命なのは末っ子の母のみです。
このごろ母親は夜になると、認知症の症状である、
物取られ幻想で、自分の通帳がなくなったとか、
(本当は自分で長姉に預けたのに、)
現金をデーサービスに持ち歩いたり、
とにかくお金💰💰💰
を手元に積み上げておきたいらしい。💦
そんな話しばかりするので、そんな時は熱海時代の話に
すり替えるようにしています。
ゆうべもまた同じ話。
通帳がなくなったと騒いでいましたので、話を即すり替えて、
母の兄弟👬や、私の従兄弟たちはどうしているか、などと
話をすり替えたら、喋る喋る、昔の話。
自分が若かった頃の話、父親の話、小さい時に亡くなった
自分の妹、弟、の名前までスラスラ出てくるので驚きました。
私も仕事でたくさんの認知症のお年寄りと、接することが
多かったのですが、しっかりしていた母も、段階が変わった
のだ😢
ということを認識するに至りました。
そして、母の話しがいつまで聞けるか、わかりませんので、
メモに残すことにしています。
話に付き合うことしか、今のところできませんので。
昔話しにお付き合いいただき、お読みいただき
ありがとうございました。
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